車好きの多くがCVTを嫌います。僕も嫌いです。
一体なぜ多くの車好きがCVTを嫌うのか。
理由ってとっても単純なんです。それは頭文字Dのとあるセリフに集約されているんですよ。
庄司慎吾「レッドゾーンまで一気にフケるこの音、この陶酔感。死ぬほどイイぜ、たまんねぇ! 」
- なんでCVTが嫌いなのか?
- CVTの利点を語ってくる連中がなぜウザいのか?
とある車好きの戯言だと思って最後まで読んでみてください。
CVTが嫌いな人の共通点
庄司慎吾「レッドゾーンまで一気にフケるこの音、この陶酔感。死ぬほどイイぜ、たまんねぇ! 」
なぜCVTが嫌いなのかはこの一言に集約されています。これだけだとちょっと抽象的なので、思っていることを詳しく話していきます。
①車の音に大きな魅力を感じている
回転数の上下と共に加減速していく車の音。これに陶酔感を感じている人って多いと思います。
モータースポーツを見ている人なら分かるはず。エンジン音や排気音は競技を盛り上げるとても重要な要素です。勝負において高揚感は大事。
CVTにはそれがない。回転数が変速しながら上昇していく音。減速をした時に吹け上がる音。
慣れてないから違和感があるだけってのもあると思いますが、今更慣れを克服できるかと言ったらそうではない。
②回転数と連動するフィーリングが好き
車の回転数って車の状態を表す1つの指標なんですよね。数字としてのスピードだけでなく、体感速度も演出してくれるんです。
このフィーリングは言葉にするのがとても難しいんですが、回転数の音と一致するフィーリングに快感を覚えているんじゃないかと。
CVTは回転数が一定のまま加速していくため、そのフィーリングがないんですよね。
つまり快感がない。気持ちよくない。
CVTの利点を語ってくる連中がウザい理由
「CVTが嫌い。」と言うとやたらと利点や素晴らしさを解説してくる人がいるんです。
「CVTは伝達効率がうんぬんかんぬん…」
正直そんなことどうでもいいんですよ。技術的に凄いのは認めます。別にこの世からCVTを消し去ろうとは思ってない。
ただ、ロジックでCVTの良さを解説されたところで興味がない。例えCVTが技術的に最高のシステムだろうと。
我々はシリーズチャンピオンを目指すレーサーでもエンジニアでもありません。CVTかATかで悩む自動車メーカーの戦略を考えているわけでも、企業コンサルタントでもない。
『CVTによる採算性を追求する世界』『コンマ1秒を削ることに命を賭ける世界』に生きていないんです。楽しいか楽しくないかが全てなんですよ。
論理でCVTの良さを唱えたいのであれば「CVTを搭載した方が目的には沿っているけど、感覚的に好きになれない」という人に言ってあげてください。
例えばプロがレースで勝ちを取りに行くために「MTよりもCVTの方がいいんだ…」というならCVTを採用すべきでしょう。趣味じゃないんですから。貪欲に勝ちに行くべき。
「CVTは嫌いなんだけどCVTを搭載したほうが確実に利益が出る。」と悩むメーカーがいれば、是非ともCVTの採用を推奨してください。趣味で車を作ってるんじゃないんですから。
でも我々はプロじゃない。趣味で車を楽しんでいる人にCVTの利点をどれだけ説明されても響かないのは、こういうこと。
CVTが嫌いな人にも一言
わざわざCVT推進派の陣地に攻め込んで戦争をおっ始めても意味はないんです。
戦争ふっかけにいったらそりゃ相手だってキレますよ。でも絶対決着はつかない。リアルで戦争してどちらかが音を上げない限りもうどうしようもないんですね。
CVTは楽しくないけど技術的そのものはクソではない。それにスポーツカーの世界にCVTは侵食してないから、棲み分けて関わらなければいい。決して相容れない意見の持ち主同士、別に仲良くなる必要はないですよね。
ただ、仲良くなる必要がないからと言って戦う必要性はないんですよね。とりわけ車好きは戦闘民族が多いですから(笑)
CVTが嫌いな理由を一言でまとめると
一言でまとめると「CVTは楽しくない」。CVTの利点を説明されても楽しくない点は覆らないから、議論は平行線。
CVT論争は感情と機能のぶつかり合いなので、多分一生決着がつきません。なのでお互い関わらないで生きていくほうが、穏やかに生きていけるでしょう。
本気でぶつかり合うのは、スポーツカーがCVTを採用し始めた時でいいんじゃないですかね。そしてそんな時代はきっと来ない。だから戦争を始める必要性が来る時は、きっと訪れないでしょう。